加瀬竜哉 west japan "on air tour 2006"
2006/02/10〜13   2006/02/18 up

.....久し振りに自分でレポートを書く。何故なら、このtourはオレ本人しか知らない事/時間があまりにも多いから。それもその筈、加瀬竜哉 west japan"on air tour 2006"は基本的に誰も同行しない、たったひとりのtourだからだ。もちろん、ギタリストやベーシスト等の"ミュージシャン・加瀬竜哉"がこのスタンスでtourする事は有り得ない。出発がひとりだった事は二度あるが、少なくとも現地で他のメンバーと合流し、途中/帰りは複数での移動である。
では、何故ひとり旅なのか。
.....そう、実はこのtourは弾き語りシンガー・加瀬竜哉の初tourなのである。

what's "on air tour"?

まず、不可思議なwest japan"on air tour 2006"と言うタイトルの意味。実は、自己のレーベルである1964recordsの設立や、アルバム"flowers"の制作、"club・加瀬コム"の開催等、加瀬竜哉.comのpromotionも兼ねて山口県のTV/radio番組へゲスト出演させて頂く事となり、具体的には11日に山口市仁保でc-able visionで放送中の"バンドの花道"と言うTV番組、翌12日に下松市でしゅうなんFMの"海ガメGA送りバント"と言うradio番組の収録を行う事だけが決まっており、しかもどちらもソロ・シンガーとしての弾き語り収録も含まれているので、どうせだから行き当たりばったりにstreet live/guerrilla liveもやっちまおう、と言うもの。
.....ぶっちゃけ、無茶だ。
が、普通歌い始めて約10ヶ月/live経験5回のド新人が、地方局とは言えこれだけの舞台を用意して頂ける事があるワケも無く、しかもどうせだから滅多に出来ない経験はしておくべきだ、と企んだ。では、何故コレが山口県なのか、と言うのが皆さん最大の謎だろう。当然、この話には"仕掛人"が存在する。
いつもオレのliveレポを書いてくれてる"peep"だ。
peepは山口出身/在住。出逢いは'91年、オレがdanteと言うbandのベーシストとしてレコ発tourで徳山boogie houseへ出演した際。それがオレ自身初の山口遠征、翌'92年に再び訪れるが、その後山口へ演奏に来る事は無く、peepとも連絡は取り合わなくなっていた。が、'01年にオレが"expo yamaguchi/きらら博"での音楽イベントに、地元出身のスーパー・ギタリスト、梶山章君(我々は'98年に"虹伝説"と言うprojectで共演、pony canyonからアルバムを発表していた)のtour memberとしてアマチュア・bandのイベントにゲスト出演する事となり、その際なんと偶然peepがイベント・スタッフの中にいたのである。しかも、この時のイベント・プロデューサーがdante当時、オレ達を世話してくれた山口のrock・シーンの首領(ドン/笑)、"かぐせん"こと山根由紀夫氏だったのである。いっぺんに多くの人と再会したオレは更にそのイベントに参加していた"スーパー・エレキング"(以下エレキン)と言う"オカマ(女装)band"を眼にする。peepはその後エレキンとも親しくなるが、実はこのエレキンこそが現在TV番組"バンドの花道"のパーソナリティであり、かぐせん山根氏こそがradio番組"海ガメGA送りバント"のパーソナリティ、と言うワケなのである。
で、日頃からわざわざオレのイベントの度に上京し、サイト上でレポートしてくれるpeepを介して、今回のtourが計画された、と言うワケだ。ありがたや、ありがたや。

2月10日(金)/晴

13時、出発の地は東京駅。まずセルフ・タイマーで写メを撮り、加瀬コム管理人にメモ文と共に送信。最初の目的地は山口県周南市。購入した切符は13時13分東京発、のぞみ55号広島行き。これで広島でこだまに乗り換え、徳山駅で下車する。御覧の通り、3泊4日とは思えない軽装。荷物は相棒のガット・ギター、YAMAHA CG-130Aとvocal micのshure SM58の入ったギター・ケース、それにリュックだけ。リュックの中身はタバコ1カートンと歌詞やフライヤーの入ったファイル、カメラ用三脚、帽子/サングラス等。服はせいぜい下着の代え程度で、殆ど着の身着のままに近い(野郎ひとり旅のイイ所.....か?)。ただ、ポケットのたくさんあるボア付きのジャケットと、ふたつのウエスト・ポーチ(内ひとつはlive〜showcase〜"hug"で米山美弥子が誕生日プレゼントしてくれたもの/サンキュ!)が大活躍。デジカメだの文庫本だのペット・ボトルだのが余裕で入る(その代わり"大リーグ・ボール養成ギプス"のように重いが)。
13時13分、定刻通り東京駅を発車。平日午後発の新幹線は空いている。車内ではipodで音楽三昧、中身はサヤカimpossible/citrobal/holys/音瑠/all symphony/D等。自分のソロ・レパートリーは聴かない。何故か.....聴かない方が良いように感じた。偶然同じ日程/しかもすぐ近くの九州tour中の土岐麻子とメール.....いや、エール交換(いや、間違ってナイか/笑)。
景色を眺めながらアレコレと想いを巡らせている内に17時19分、あっと言う間に広島駅着。ここで新幹線の乗り換え。ここまでが最後尾車両16号車、乗り換える17時27分発こだま667号博多行きは4号車、乗り換え時間は8分、チンタラとホームの端から端へと歩く。が、やがてホームに入って来たこだま667号はなんと4両編成!。全然手前で停車、「マジかよ!」と焦ってギター抱えて走る。東京駅の窓口で「禁煙席になっちゃいますね〜」と言われたのは、混んでいたからでは無かった。指定席車両が1両しか無いからだったのだ.....。

18時05分、広島から約40分弱/各駅停車で徳山駅着。14年前、ここは徳山市だった。が、現在は'03年の市町村合併により周南市となり、当然周南になってからは初めて訪れる。電車で来るのは今回が初だったが、ロータリー、アーケード、商店街等、景色は基本的に変わっていない。むしろ、そこに降り立った男が、歳を14コとっただけだ(なにしろそん時ゃ20代、今40代)。
しばらく駅周辺を歩いていると、ロータリー下の地下道から歌声が聴こえて来る。誘われるように階段を降り、細い地下道を進む。そこにいたのは、サウスポーのアコースティック・ギターを抱えたひとりの青年。"旅の途中"と書かれたパネルを立て、人通りもまばらな地下道で歌っていた。彼の対面にギター・ケースを降ろし、腰掛けて彼の歌を聴く。
-良い声だ-
だいたい地下道なんてものはナチュラル・リバーヴの宝庫で、その響き方で声が相当美化されるモンなのだが、それを差し引いても魅力的な澄んだ声だ。1曲終わったところで、拍手。「あ、ありがとうこざいます.....」2曲、3曲。大阪からやって来たと言う大学生の彼はだんだんと、この"変なオッサン"に「旅してるんですか?」「どんな感じのをやってるんですか」と声を掛けてくれるようになる。.....オレの答は常に「まあまあ、良いから続けてよ」.....オレ、感じワル過ぎ。4曲目が終わった時、彼は衝撃的なひとことを発する。
「ああ、暑い」
.....何故って、この地下道は風の通り道、氷点下にもなろうかと言うこの場所にいたオレは「メチャメチャ寒い」と感じていたからである。.....そうか、彼は暑いんだ。
「.....ねえ、まだ始めたばかり?」
「はい」
「じゃ、オレも混ざって良いかな?。迷惑だったら良いけど」
「いや、全然迷惑じゃナイっすけど.....何を演るんすか?」
「いーのいーの、気にしないで自分の曲演って。勝手に参加するから」
オレはケースからガット・ギターを取り出し、彼の少々シャープ気味のチューニングに合わせ、即興ジャム開始。コード・ストローク/アルペジオ/オブリガート.....心配しないで。全く知らない曲でも、こんなパターンは正にオレの真骨頂だ。何曲かをジャムり、休憩に入った彼に、今度はオレのレパートリー数曲をお返し。彼はじっと聴き入ってくれている。
ちなみに、コイツは実質的にオレの"street debut"だ。一度だけ、何年か前に音瑠のstreetを観に行って飛び入りセッションした事があるが(音瑠、覚えてる?)、その時はオレはギターを弾いただけ。あ、あとアニメでstreet musicianの役で歌った事もあったか(いや、そりゃスタジオだ/笑)。.....とにかく、41歳のstreet debutだ。

♪"ほっ....." ─ボサノヴァは、地下のナチュラル・リバーブの中では切な過ぎる。

有り難い事にオレの歌に拍手をくれた彼は、ビジネス・ホテルやマンガ喫茶を泊り歩きながら、これから島根/鳥取/兵庫等を廻り、「僕を知って貰う為じゃなく、僕がたくさんの人/ものを知りたい」と言う旅の途中なのだと言う。昨日は福岡にいたらしい。.....大学は休んでいるのかも知れないが、君は間違い無く、普通では学べないものを学んでいるよ。
あまり邪魔しても何なので、数曲歌ったところで彼の自主制作CDを購入し、お互いの携帯のカメラに記念撮影。互いにエールを送って別れる。
約1時間程だっただろうか。その間、何人の人が地下道を通っただろう。足を止め、覗き込む人、足早に通り過ぎる人、冷やかし半分にリズムを取る人。
とにもかくにも、オレの半分も生きていない彼は、
-"誰が聴いて/観ているか"なんて、まるで問題じゃ無い。今自分は、歌いたいから歌うんだ-
と言う、大切な事を教えてくれた。ありがとう。良い旅となる事を心から祈る。

20時、オレは徳山駅で下車した本来の目的を果たすべく、ある場所へと向かった。
live bar・徳山boogie house。
14年前、danteのベーシストとして2度出演し、仲良くなったマスターとアンコールでジャムまでした、想い出のハコである。記憶を辿り、店の前へ辿り着く。.....営業してる!。感無量。地下への階段を降りて行くと、アンプを通したシングル・コイルのギターの音が聴こえて来る。「今日はliveなのかな.....」ドアを開けると、どう見てもliveじゃ無い。ステージ上で、マスター/森永セイジ氏自身がストラトキャスターを爪弾いていたのだ。
「.....森永さん!」
「お、おお?.....さっき地下で歌っとった?」
.....は?(爆)。マスター、前通ったの!?。そりゃ全然気付かなかった。.....とにかく、老舗のハコのマスターが14年も前の事/顔を覚えてるワケも無く、あらためて自己紹介をする。
「おお、dante、覚えちょる。懐かしいなあ」
....握手、抱擁.....泣いてしまった。あの時danteのメンバーと即興で演った"boogie house boogie"の事も、ちゃんと覚えていてくれた。「なんじゃ、ギター持って」翌日/翌々日の収録と、現在の自分の状況を説明する。「そうか。良く覚えてて来てくれたな」カウンターに座り、ビール片手に過去/現在/音楽状況等、様々な話をする。良く考えたら朝から何も食べていないオレに、「オススメ」と言って出してくれたマスター手作りのビーフ・タコス・ピザ!。コレ、絶品!!。
店内は、笑っちゃうほど変わらない。eric claptonやstevie ray vaughanのポスター、壁に密着したベンチ、そしてステージに描かれた"boogie house"の文字.....このステージから、大勢のオーディエンスの笑顔を見た。忘れられない、素晴らしい記憶。そして、14年経っても、オレに負けず全〜然老けないマスター!。
.....このboogie houseのマスター、森永セイジ氏は実は県内では有名なブルーズ・ギタリストである。東京にも何度かtourしているが、そー言う事を知ってても今まで観に行ってナイのが.....オトナの悪いトコロだ(反省)。「ちょっとウチのメンバー呼ぶから、ジャムろうか」.....タイヘンな事になって来た。電話1本で千々松初氏(b)森沢キヨシ氏(dr)が呼ばれ(何と言う人望!)、乾杯してステージへ。オレはド真ん中でS・ヤイリ製の超コンディションの良いアコースティック・ギターをお借りし、即興の4人編成ブルーズ・バンドが完成。何しろboogie houseのステージには、liveでは無い通常のbar営業にも関わらずいつでもジャムが出来るよう、楽器がセッティングされている。マスターはさっきまで弾いていたストラトを手に上手に腰掛け、オレのイントロを待つ。.....即興演奏はもちろん、最近は"即興歌"も得意(?)とするオレの先導で、終わらないジャムのスタートだ。予定外のliveに、居合わせた常連客達は笑顔で応えてくれている。

♪"boogie house boogie 2006" ─初めて逢った時、「ブルーズは言わさんぞ」と笑顔で言ったマスターと、当時よりは少しはマシなジャムが出来ている.....筈だ。

....on E/G/Aと、3パターンのブルーズ・セッションを、オレ達は明け方まで続けた。ステージにキスをし、名残惜しさを堪えてboogie houseを後にした。マスター、千々松さん、森沢さん、ありがとう。オレの人生で、今日ほど行動力を振り絞り、そして今日ほど素晴らしい日は無い。プレイし、歌い、幸せになる。そして、それが続いて行く。それ以上の幸福など、ありはしない。いや、いらない。フラッと現れたトンデモナイguerrillaに付き合ってくれてありがとう。
1,000km離れていても、ココはオレの"home"です。

.....早朝、新山口経由で宿泊地である湯田温泉着。遠かった。ホテル"喜良久"にチェック・インし、部屋に入って所謂"バタンキュー".....が、悔しいからその証拠写真を撮ってからホントにバタンキューしよう。.....え、朝食?。いりません.....。

2月11日(土)/雨

11時、peepからの電話で眼が覚める。
「おはようございま〜す!、さっき、着いたってメールしたんですけど.....」
「ワリィ、見てネエ.....。シャワーだけ浴びるから待ってて」
「じゃ、下で待ってますよ。.....せっかく温泉なのに、シャワーっすか?(笑)」
.....しょうがナイ。大浴場行って湯船に浸かったら間違い無く寝る〜溺れる〜終わる.....。
ところで、今日/明日の二日間、"仕掛け人・peep"が地元コーディネーター/運転手を買って出てくれた。そりゃありがたい。何しろ、TV収録の行われる"仁保ログハウス"は「交通機関の行き届かないトコロ(そんな大袈裟な)」、しかも地理も解らんのじゃ話にならない。東京出身のオレには、田舎道(失礼!)は全部同じに見える(更に失礼)。
「昨夜は眠れました?」
「いいや。寝たのさっき」
「は?」
「色々あってさ.....ま、ちょっとは寝たから大丈夫だよ」
湯田から約1時間、途中"道の駅"(所謂ドライヴ・イン)で蕎麦を食い、後は殆どpeepの助手席で居眠り(許せ)。
13時、山口市仁保のログハウスに到着。ほぼ同時にTVクルーも到着し、猛スピードでセッティングを始める。
c-able vision"バンドの花道"は、基本的に山口県内で活躍する/頑張ってるアマチュアbandを紹介する番組。そこへ県外の、それも現役スタジオ・ミュージシャン/プロデューサーのオレが出るのはぶっちゃけ反則である。が、オレ自身は"歴1年未満のド新人singer"であるからして、むしろ胸を借りるつもりで出させて頂く事にした。放送は1ヶ月後だが、1日2回、歌/演奏1曲+トークを1set/1週間、翌週に別の歌/演奏1曲+トークを1週間、計2週間放送するもの。収録は一度に2組、この日のもう1組は県内で活動中のrabbit▽kissと言う、2mc/5人編成のヒジョーに活きのイイrock band。
「おはようございま〜す!」ありがとう。君達のおかげで眼が覚めた(.....)。
収録場所となるログハウスは温厚なマスター、山根哲郎氏(前述のかぐせん山根氏とは別人)がニコニコと出迎えてくれる、live house/studio/喫茶、を兼ねたオアシスのような場所。何が嬉しいって、石油ストーブとコーヒーの出迎えが温まる。番組制作の坂井プロデューサー、宮崎ディレクター、そして駆けつけてくれたpeepの個人サイト"広くて浅い世界"の掲示板仲間達。イメージ通りの人もいれば、全然違う人もいた。けれど、皆に温かく迎えられ、素直に嬉しい。
「加瀬さ〜ん、おはようございます!」
「.....誰コレ?」
司会のオカマ2名、すっぴんで到着(アタリマエだ)。5年振りの再会だが、実質的には初めましてに近い。何故なら、彼等とはきらら博の楽屋で挨拶した程度だったからだ。その後あれよと言う間に地元の有名人となり、各地のイベントに引っ張りだことなった。固い握手を交わし、約15分後、変わり果てた姿(笑)でふたりが再登場。ケンコ(vocal/guitar)、寛子(bass)、エレキンにはホントはもうひとりdrumer(もちろんオカマ/笑)がいるが、番組司会はこのふたり。で、実は事前にpeepから彼等の、所謂"宅録"による自主制作CD-Rを貰っていた。ちなみにタイトルは"介護保険'roll"。が、ジャケットがスペル・ミスで"介護保険'rool"になっており、しかもメンバーはオレが指摘するまで気付かず。で、曲/演奏は良い感じで弾けているのだが、如何せんサウンドの方は所詮宅録。
.....ってえ事は、だ。
察しの良い方はそろそろお気付きだろう。プロのmastering・engineerでもあるオレがソレを見逃せる筈も無く、しかも最近は何かしらの"サプライズ"が恒例(クセ?)になりつつあるオレとしては、コイツを豪快にdigital re-masteringして持って行く以外に無い。ただし、渡し方は"サプライズ"でだ。

15時、rabbit▽kissの演奏シーン収録が終わり、いよいよオレの出番。曲は"rainy day"と"涙のあと"。まず、演奏シーンを2曲撮ってしまう。.....ま、ココは現在放送前だから詳しく書かないでおこう(書ける事もあまりナイのだが)。.....とにかく、カメラ4台に囲まれたオレがステージ上で如何にテンパっていたか、は御想像にお任せする(いや、しないでイイわ.....)。

♪"涙のあと" ─人生41年、音楽歴25年。.....まさか、自分がTVで歌う日が来るとは、ただの一度も思わなかった.....。
続いて、トーク場面の収録。ケンコ/寛子のオカマふたりに、c-able visionの三好彩子アナウンサー(アタリマエだがれっきとした女性)が加わる。トークの話題はきらら博での出逢いから、こうして歌うようになった経緯、1964recordsの設立、アルバム"flowers"制作、イベント"club・加瀬コム"の開催、そしてサヤカimpossibleの誕生等々。当然ながらコメンタリー陣からオレへのインタビュー形式だ。2週目の収録の際、背中に忍ばせたエレキンのCD-Rをおもむろに取り出す。
「ところでさあ、コレなんだけど」
「あら!、アタシ達のCDじゃない!」
「コレ、スペル間違ってるじゃん」
「あっら〜、バレた?、そ、そーなのよ〜」
「中身だけ、直しといたよ!」
....そう言ってケースを開けると、中身はオレが持って来たnew master disk、roolに×をしてrollと書き直し、更に"re-masterd by kasetatsuya"の文字。
「エエ〜!、ウッソ〜!!、マジで〜!!!」
.....ま、オレがこの収録で誇れるのはこの場面くらいだったかも知れない。が、"最後に一番オイシイ所を持ってく"のはやっぱり楽しいぜ(.....)。

18時、無事収録終了。rabbit▽kiss、コメンタリーと記念撮影。スタッフ、マスター山根氏、そして友人達。皆に挨拶をし、再びpeep号に乗り込み、湯田温泉へ。peepには明日のradio収録の際にも世話になる。ここいらでメシでも食わさな.....と思いつつも、"極度の緊張からの解放"とは恐ろしいもので、もはやどうにもならない眠気が襲う。良く考えれば、この2日間は相当異常な過ごし方、身体が驚くのも無理は無い。明日は午前中からの収録、しかも移動距離も長い為に早起き。とりあえず今度こそ温泉にでも浸かってゆっくり身体を休めよう。
「サンキュ、また明日も頼むな」
19時、peepと別れて部屋へ戻り、とにもかくにも一旦仮眠だ。ジーンズを脱ぎ捨て、ベッドにゴロリ。
20時30分、携帯が鳴って目が覚めた。
「なんだpeepか(失礼な)。どうした?」
「あの〜、エレキンのふたりが、今日の内に周南へ移動だと思って遠慮してたんだけど、今夜も湯田にいるなら呑みましょうよって.....」
「.....行く」
オレって解りやすいぜ〜(.....)。彼等が教えてくれたのは御丁寧にオレのホテルから歩いて数分の所にある韓国居酒屋、"とみでん"。peepも「それなら」と、地元の友人達を集めてくれた。
「お疲れ〜!!」
どんな呑み会だったかを書くなんてcoolじゃない。ただ、豪快に楽しかったよ。皆、深夜まで付き合ってくれてありがとう。.....あ、料理はハンパなく旨かった。湯田温泉にお越しの際は是非オススメ。温泉は.....結局入ってナイ(バカ)。

2月12日(日)/曇〜雨〜晴

8時30分、今日もpeepからの電話で起床。
「.....オマエ、早起きだね」
「何言ってんですか!。遅刻しても知りませんよ!!」
今日の予定は11時から下松市にあるしゅうなんFMのスタジオでかぐせん山根氏のradio番組(30分)収録、ここ湯田から車で1時間程度、結局一度も温泉には入れず、完全に"寝る"為だけの滞在となってしまった。ついでに、噂では深夜に旨い屋台ラーメンが出没するとの事だったのに、これも果たせず。
「.....あのさあ、下松で旨いラーメン屋知らない?」
「さあ、それこそかぐせんさんに聞いてみれば良いんじゃナイですかね」
10時30分、着いたのは"ザ・モール周南"と言う巨大なショッピング・モール。peepがかぐせん山根氏に連絡を入れると、こちらの方が先に到着した模様。建物の中へ入ると、イベント広場に面した所謂"サテライト・スタジオ"で、丁度我々が到着した頃には女性アナウンサーと地元高校生3人が生放送中であった。
「う〜ん、ここで弾き語り、ってのもなかなか恥ずかしいゾ.....」
程なく、かぐせん山根氏がトレード・マークのボサボサ頭(笑)で登場、再会の堅い握手。彼とは'01年のきらら博打ち上げの際、「なにかあったら絶対に来てくれよ」「はい、絶対!」と約束した。大抵の場合"社交辞令"で終わるのがこのテの話だが、こうして実際に実現すると喜びもひとしお。ちなみにこの"かぐせん"の由来は、実家が家具専門店、しかも"株式会社かぐせん"と言うらしい(ただし、周囲に聞いた話なので確証はナイが)。名刺を頂くと、彼はしゅうなんFMのディレクター職でもあった。
「打ち合わせ、別に良いよね。今あまり話さずに、『久し振りだね』から始めようか」
.....同感。rock好き同志が向かい合えば、自然と話は弾むモンだ。
11時、収録スタート。オレは持って来たCDとガット・ギターを抱えて席に着く。サテライト・スタジオの外には見る見る内に人だかりが出来る。まずは'91年のdante"where is paradise? tour"での出逢いの話、そして'01年のきらら博の話へ。
実はオレはその時楽器を持たずに(つまり"手ぶら"で)空港に降り立ち、実はかぐせん氏にbassをお借りした(ひえ〜、スンマシェ〜ン!)なんて言う裏話に続き、1曲目は虹伝説の"spotlight kid"。元Rainbowのsinger、joe lynn turner本人を迎えてのrecordingや、joeと焼肉店に行った想い出等を語る。この人と話してるとネタ切れが無い。続いてはその後の活動、ちょっとヤバイ裏話なんかを含めて弐拾参拾四拾の"無敵!"。なんかホントに「あれからどうしてんの?」な流れだ。そして、"無敵!"が流れている間にかぐせん氏がヘッドホンを外して呟く。
「.....予定変更。コレ、30分枠じゃなくて1時間番組にするわ」
.....こんな時のディレクターの権限って凄いね。オレの返事はニヤケ顔。
「さて、最近は弾き語りで即興で歌ったりしてるらしいね。なんか演って貰おうかな!」
「良いっすよ!。じゃ、なんかテーマを決めて下さいよ」
「そうだな.....じゃ、"ラーメン"で行こうか!」
.....出たよ(笑)。オレの顔に"ラーメン食べたい"とでも書いてあったんだろうか。A major7をポロンと鳴らし、歌い出す。

♪"ラーメンの唄" ─別にかぐせん氏のヘア・スタイルが小池さんっぽかったからではナイ.....。

弾き語り披露に続いては、ホントに近況。4月のclub・加瀬コムへの意気込みと共に、kamikaze houseへのbirthday song"paradise"(遂に放送媒体に乗っちったよ、大島さん!)、サヤカimpossibleの"flowers"収録予定曲"楽園"。更に、前日のTV収録の話等、なんかこのトークの間にオレ自身の音楽キャリアからホントの"現在"までが凝縮されたような、濃い〜1時間だった。放送は翌週日曜日と次の土曜日(再放送)の2回だそう。地元の音楽ファンが「へえ〜、変なヤツがいるモンだ」と思いつつ、楽しんでくれたら嬉しい。
12時、無事収録終了。NGもカットも無い、ツルッとランスルーな1時間。スタッフの皆さんに感謝し、「腹減ったね。メシでも行こうか」と言うかぐせん氏の案内で、彼が子供の頃から食べていると言う地元の有名なラーメン店、"紅蘭"へ。.....激ウマ。詳しい紹介は、モチロン(笑)no ラーメン, no lifeで!。
13時30分、かぐせん山根氏と「じゃ、また」「はい、また!」と堅い握手。.....この「また」と言う約束が単なる社交辞令では無い事は、オレ達自身が一番良く解ってる。

14時、徳山駅。2日間世話になったpeepともここでお別れ。
「お疲れ様でした。.....で、これから何処行くんですか」
「.....色々ね。とりあえず電車に乗る。本当にありがとう」
改札に向かったオレは一度も振り返らなかった。理由は.....見せられる顔じゃ無かったから。でも、きっとpeepも同じだったんじゃないか、と思う。そして、本当の意味での"ひとりぼっちの旅"は、ここから始まる。
14時13分、徳山駅からこだま658号で一路広島へ。車窓から山口に別れの.....いや"再会の約束"を告げる。peepに感謝のメールを打ってる内に14時49分、広島駅着。即座に山陽本線に乗り換え、某所へ。
行かなければならない場所がある。
歌わなければならない場所がある。
歩く。
想う。
そして、歌う。

♪"paradise lost" ─届いてくれ。

風が冷たい。時折雲が切れ、太陽が顔を出すと同時に、今度は雨が降り出す。が、再び雲が空を被うと、雨は静かに止む。それを何度となく繰り返す、不思議な天気。.....オレの人生みたいだ。

17時30分、再び広島駅。まず今夜の宿を探すつもりだったが、気が変わった。そのまま路面電車に乗って、明日行こうと思っていた平和記念公園へ。
.....ここを訪れた事のある方も多いと思うが、'45年8月6日、原爆がここのほぼ真上で爆発した。"原爆ドーム"と呼ばれる建物は旧広島県産業奨励館と言い、あまりに爆心地に近かった為に吹き飛ばされず、鉄骨部分がそのまま残った。そして、戦争/核兵器の悲惨さを後世に伝える為、また世界平和を願う目的で、永久保存される事となった。そして現在、ドームの周囲には足場が組まれ、劣化状況の調査が行われている。大きな音出しが禁止されている平和記念公園、静かにギターを取り出し、どうしてもここで歌いたかったあの曲を爪弾く。

♪"imagine" ─夢想家だなんて言うけど、ひとりぼっちじゃない。いつか世界がひとつになる。

.....この街の人々が復興して来た"今"の上に、オレは立っている。そしてオレが立つこの場所の下にも、あの日誰かがいた筈である。噛み締める想いは空へと吸い込まれて行く。陽が暮れ始め、言葉に表せない切なさが襲う。

19時、三度広島駅へ戻り、駅のすぐ近くのホテル川島へ。駅前のビジネス・ホテルが日曜の夜に混んでいる筈も無く、すんなりと部屋が取れる。荷物を降ろし、一旦荷物整理。

ここで、オレの旅をサポートしてくれた荷物紹介〜。
写真左から、ギター・ケース、タバコ/100円ライター/携帯電話(ドコモダケ・マスコット付き)/i pod shuffle/鍵、奥に立て掛けてあるのが左から文庫本/喉の薬/電気シェーバー。このあたりは皆ウエスト・ポーチに入ってる。リュックの中の下着なんかは.....写真に撮って公開するような趣味はナイ(.....)。

一服したところで空腹に気づく。そう言えば今日は昼に下松でラーメン食べただけだった。朝から喋って歌って歩き回って、そりゃ腹も減る。.....良く考えたら、冬の広島は初めてだ。
「そうだ、カキ食おう」
フロントにキーを預け、徒歩で八丁堀へ。もう、このtour中に逢う約束をしている人、行かなくてはならない場所は無い。急に寂しさが込み上げて来る。不思議なもので、多くの人で賑わう歓楽街へ近付けば近付くほど、孤独感は増していくものだ。
21時、わりと行きつけのお好み焼き屋。飲み物に口を付けてから「今日こそカキが食えるぞ!」と言うと、「あ、ゴメ〜ン、今日カキ終わっちゃったの」.....確かに、日曜のこの時間に来たオレが悪い。しかも既に飲み始めちゃってる以上「じゃあまた」ってワケにもいかず、いつもの定番をオーダー。旨い。旨いよ。でもね.....カキがね.....。
「ごっそさん」
腹いっぱいになって店を出たが、な〜んかもの足らない。な〜んか納得行かない。
.....そこで、さっき下松でかぐせん山根氏が「こないだ広島でお好み焼き食ってたら、journeyのサインが飾ってあってビックリした。○○ってトコ。旨かったよ」と言ってたのを思い出した。そこなら知ってる。.....で、到着。
「いらっしゃい」
「カキスペシャルとカキバター」
.....我ながらこの"目的を達しないと気が済まない"性格には呆れる。目の前で、東京ではお目にかかれないようなサイズのカキが調理されるのを眺めながら「腹よ減ってくれ」と祈る。
「お待ち!」
.....旨過ぎる。が、苦し過ぎる。しかし、出されたもの/まして自分で頼んだものを残すのはオレのスタイルじゃない。当然、たいらげる。
店のTVでは、始まったばかりのトリノ・オリンピックが中継されていた。.....そう言えば、この3日間TVやインターネットと言うものを見ていない。が、世の中の情報が解らずとも、オレは今回のtourでたくさんの事を知り、多くの事を学んだ。.....ふと、一昨日の徳山のstreet singerを想い出す。今頃何処で歌っているのだろう。風邪ひくなよ。

23時、酔いと満腹を覚ましながら徒歩でホテルに戻り、シャワーを浴び、ベッドに横になる。足が浮腫んでた。丸くなって寝る。明日はいよいよ帰京の日だ。

2月13日(月)/晴

8時30分、モーニング・コールで眼が覚める。爆睡した。が、相当寝返りを打ったらしく、浴衣が跡形も無く脱げていた。カーテンを開けると、外は快晴。眼下には川が流れており、出勤途中の人々が足早に橋を渡って行く。
「よしっ」
10時、シャワーを浴び、コーヒーを飲み干し、ホテルをチェック・アウト。コンビニエンス・ストアでパンを買い、かじりながら川沿いを歩く。この4日間を想い出し、頭の中で整理し直す。穏やかな広場の端にある階段に腰を降ろし、ギターを取り出す。
少し早めの昼食に出て来た会社員、新聞を読みふける老人、学校サボッてメール打ってる女子高生、真剣な顔つきで川面を見つめる幼児と、それを見守る母。
オレは歌詞ファイルを1ページ目から順にめくり、過去のlive〜showcase〜で歌った全てのレパートリーを歌う。途中、昼間から完全に酔って出来上がってるオヂサンが、少し離れた所から大きな声で言った。
「こんなトコで歌っててもしょうがねえだろう」
.....もしこれがtour前の出来事だったなら、オレは「ウルセエ、大きなお世話だ!」のひとことぐらい返していたと思う。が、オレの行動は彼ににっこりと微笑む事だけだった。.....それが今だけだって事ぐらい解ってる。オヂサンはほどなく行ってしまったが、その間、歌う事を中断せずにいられた自分には少々驚いた。

♪"行かないでが言えなくて" ─旅の終わりに別れの歌は.....似合い過ぎるね。

12時30分、歌い終わってギターをケースにしまうと、さっきからずっといる女子高生がメール打つ手を止めてパチパチと拍手をくれた。.....ここで声なんざかけようモンなら犯罪かと思われても仕方の無い歳の差(笑)、相手は茶髪だが、こっちは金髪/帽子/サングラス、と来たモンだ。オレはペコリとおじぎをし、黙って広島駅へ向けて歩き始めた。涙が止まらなかった。

12時50分、広島駅。切符を買い、ホームでまた写メを撮って、すぐに出る13時00分発、のぞみ56号東京行きに飛び乗る。名残惜しいと、いつまでもいる必要はもう無い。さあ、胸を張って帰ろう。

.....行き/帰りの"日々のメモ"をアップしてくれた加瀬コム管理人、便利なウエスト・ポーチをくれた米山美弥子、「良い旅に!」とエールをくれた土岐麻子、徳山駅地下でジャムってくれた石村君、boogie houseのマスター森永さん/千々松さん/森沢さん/居合わせて聴いてくれたboogie houseのお客さん、朝っぱらからチェック・インの為に起きてくれた湯田温泉ホテル"喜良久"のフロントのおじさん、ログハウスのマスター山根さん、"バン花"プロデューサー坂井さん、ディレクター宮崎さん、カメラ/音声/照明スタッフの皆さん、女子アナ彩子さん、ケンコ/寛子のエレキンのふたり、共演のrabbit▽kiss、マリーさん/ヤギちゃん/とっこちゃん/ジェリーさん/ともやん、追い掛けて来てくれたマスミちゃん、時間延長までしてくれたかぐせん山根さん、しゅうなんFMの藤田さん/松田さん、歌詞のハンパな懐メロ(笑)聴いてくれたM、お好み焼き屋のネエちゃん、女子高生の茶髪っちゃん、快くシャッターを押してくれた皆さん、フライングで「お帰り〜」メールをくれたサヤカ。

オレに歌い始めるきっかけをくれた石田健、kamikaze houseマスター大島さん、PAたっきー、共演者のみんな、solo liveをゲストで支えてくれた音瑠/kazmy、machikoさん、オレの歌を聴いてくれた全ての皆さん。

.....そして、このtourの企画と移動を手伝ってくれたpeep。



ありがとう。
JR東日本
石村有輝
boogie house
ログハウス loghouse
バンドの花道
スーパー・エレキング
rabbit▽kiss
湯田温泉
しゅうなんFM
ザ・モール周南
no ラーメン, no life

ホテル川島
JR西日本
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