第一章・ふるさとは宇田川
第一章・第四節〜宇田川源流へ〜/富ヶ谷・神山支流
富ヶ谷は渋谷駅側から見て、オレが暮らした神山町の先にあたる。代々木公園とNHKの敷地の間、バブルの頃に"ホコ天"と呼ばれた原宿駅から下る歩行者天国(現在はやってません)を降りきった所あたりから、更に昇って行く通りが井の頭通り、その周囲が富ヶ谷である。このあたりは戦前は代々幡町大字代々木深町と呼ばれていた。オレが子供の頃、現在の代々木公園交番の名が"深町交番"だった。が、富ヶ谷の名の元々の由来は"留貝谷"(とめがいや)だと言われている。谷底にあたる位置(つまりホコ天を降りきったあたり)の地下10mほどから、大量の貝の化石層が発掘されており、ここから留貝の名が付き、富ヶ谷となったらしい。つまりは読んで字の如し、谷を囲む一帯である。
富ヶ谷交差点から見た井の頭通り(吉祥寺方面)、このあたりが富ヶ谷。.....20代前半(またしても食えない頃)、写真左手の茶色いビルのあたりにあったコンビニエンス・ストアでアルバイトしてたことがある。ちなみに、その頃に比べて道幅が.....2倍以上になってるな
逆方向を見たところ。前方の代々木公園はかつての代々木練兵場、そのド真ん中を突っ切るように作られた道路である。井の頭通りは本来今よりも写真右手から続いており、現在とは経路が異なる
このあたりにも大山や初台同様、谷底に待ち受ける宇田川へと向かう支流がいくつか流れていた。その内いくつかは高台の途中にある窪地などに自然に出来た池や沼だったり、江戸時代に更に高台に造られた三田上水の漏れ水であったりもした。中央を突っ切る井の頭通りがかつて"水道道路"と呼ばれたからか、このあたりの商店街の名は"上原水道通り"である。
"上原水道通り"の名が付く商店街。地元の人でも意外にその由来を知らない
商店街から離れ、山手通りから東北沢へ抜ける通り沿い、上原2丁目にある二ツ橋バス停。もちろん現在橋はないが、この道沿いにあった三田用水(旧・三田上水)の漏れ水が流れ込んでいた暗渠を辿る
二ツ橋バス停横の細い道沿いに進む(写真右手)。このあたりはここから写真右方面へ向けて緩やかな谷形状となっている
一見、何の変哲もない道に見えるが、実はここが水路跡である
同じ位置から振り返った所。写真中央の幅1.5mほどの空間が暗渠である
しばらく進んだ所にある、最近まで立ち入ることの出来ない鬱蒼とした崖だった場所が整備され、遊歩道のようになっている。かつてこのあたりにも水源となる池があったのかも知れない
このあたりの歩道は坂ではなく、階段状にするしかないほど急激な谷地形である
道が平地になるとここが小さな川の暗渠であることが解る
暗渠沿いにある小さな公園、富ヶ谷児童遊園地。.....別項で触れるが、手入れが行き届かないほど草ボウボウの人気の無い小さな遊び場があったら、そこは暗渠の可能性が高い。建物を建てるわけにも行かず、湿気も多いために草が生えるのが早い。それは地盤がゆるいからに他ならず、ここなんかまさに沼か池だった筈だ
.....暗渠沿いに、なんとも言いようのない造りの家を発見
写真奥から続いて来た暗渠は写真手前、井の頭通りにぶつかる
井の頭通り(写真手前)から、前方の山手通り陸橋下へと向かう暗渠。現在工事中で辿ることは出来ないが、向かう先は小田急線代々木八幡駅脇の宇田川合流地点である
反対側から見たところ。写真奥は井の頭通り
前方の高架下が合流地点、三田用水方面からの流れは写真左手から注ぎ込む。この撮影場所は代々木八幡駅商店街の裏道、この道も実は宇田川に注ぐ暗渠であり、明治以前はこの経路を通って本流に合流していた
暗渠沿いにはここがいかに深く、急激な谷底地形かを物語る遺構が多く見られる
写真手前が井の頭通り、奥へ進むと代々木八幡駅方面。ここを挟んで谷底は神山町となる
井の頭通り、右が富ヶ谷、左が神山町(谷底部)。旧富ヶ谷支流は丁度歩道橋の下を右から左へ流れていく
谷底の神山町/宇田川本流を見おろす流れ
こちらは途中から神山町側へ落ちる流路の暗渠。どちらも水源は山頂部となる
写真左手から来た流れは右からの流れと合流する
右手の流れは狭い路地となって緩やかに落ちて来る。神山町はメインになる通りが狭い一方通行で路側帯も狭いため、この裏路地は住人にとっては非常に便利な道であった
写真奥に見えるのが井の頭通り。富ヶ谷支流のさらに支流なのだろう。右手のコインランドリーのあるマンションはオレが住んでいた頃は銭湯だった。つまり、この道が川だった証である
富ヶ谷の手前/宇田川町の先の、オレの生家があったのが神山町である。神山町にも宇田川に注ぎ込む源流/支流がある。既に平坦になって渋谷駅付近へ向かう宇田川沿いに、縦のラインで立ちはだかるのが神山/松濤の高台である。間もなく終点/渋谷川との合流地点となるこの付近は谷底の地形も滑らかで、丁度オレの生家、神山町2番地近辺に代々木練兵場(NHK)側の山とは逆側の高台から小さな支流が注ぎ込んでいる。
富ヶ谷1丁目、山手通り沿いにあるNTT東日本代々木ビル。写真左手が初台方面、右が渋谷方面となる
そのすぐ右側が突然切り立った崖状になっている。写真奥に見えるビルはNHK放送センター、その左側の空間が代々木公園
崖上に立つと、眼下には右手の草が生い茂った崖下に細長い道筋が存在し、谷底へ降りる階段途中には出っ張ったマンホールが見える。このあたりに水源となる池か沼があったと思われる
付近は民家が密集しているが、ある一定のラインだけが雑草の生い茂る細く小さな暗渠となっている。もちろん遊歩道化されているわけでもなく、暗渠化40年を経た現在も単なる立ち入り禁止区間なのだ
路地を挟んで反対側にも同様の暗渠が続く
暗渠右手の崖上にたまたま工事現場があったので、そこから覗き込んでみた。川筋は写真左から右へと続いて行く
暗渠の終点部(写真中央)は富ヶ谷と神山の間.....なんてこった。レストラン・ミマツ(加瀬コム/日々のまるたメモ2005/9/14分参照)の前だ
写真奥突き当たりが暗渠の終点、写真手前右手から左手へ宇田川本流が流れ、奥から来た神山支流がここで合流していた。左手の松濤スタジオと向こう側の茶色いビルの間が宇田川遊歩道であり、かつては写真中央に桜橋と言う橋がかかっていた
.....で、その茶色いビルを曲がるとオレんちだった.....母親に聞いたところ、引越して来た1961年(昭和36年)には既に「普通の道だった」らしい
1947年(昭和22年)航空写真。写真左下の現・NTT代々木ビル(表記のすぐ下)から、右手の桜橋跡の位置へ下る細い流路が存在する
.....神山支流を辿ってみて解ったことがある。オレはここを知っていた。が、40年近く忘れていたのだ。

NTT代々木ビルのある丘。あそこからの眺めは、3〜4歳の時に父に連れられて見た景色だ。そしてそれは、年に何度か「あの風景は何処だったんだろう」と思うだけで、もう40年近く"謎の景色"のままだった。その時の景色は、小高い丘から眼下の野原を見おろす、と言うものだった。建っている民家は木造平屋ばかりで、遠くに森が見えていた。あれは出来たばかりの代々木公園だったのだろう。8歳までしかいなかった神山町で、当時オレがこの山手通りと言う大通りまで来ることはなかった。オレの手を引いて煙草をふかす父とのおぼろげな想い出は、宇田川の水源地への、小さな"遠出"の記憶だったのだ。しかし、その後ここへ来ることは二度となかった。ただ、崖下にあたる位置には多くの同級生が暮らしていた。SやHの家に遊びに来る際、オレはこの谷底を暗渠に沿って歩いて来た筈だ。
「もういいかい」「もういいよ」.....きっとこんなふうに、このあたりで遊んでいたんだろうね
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