第五章・桃園川complete
第五章・第一節/高円寺は桃の園
.....実は2007年(平成19年)5月、自身の音楽活動の為に仲間と個人的なmanagement officeを興した(平たく言えば"事務所を構えた"ワケだ)。場所は杉並区高円寺。まあ住んでるトコロも杉並区内(永福)だし、普段は新宿御苑を本拠地としているのでタイヘン便利な位置、ついでに若かりし頃に割とこの辺をウロついていたので勝手知ったる土地でもある。んで、一応先に言っておくが例によって暗渠関係のことは物件探しの時点で全く知らない。
昨年、渋谷川/宇田川/河骨川/玉川上水/神田川支流など、自身の引越歴と生活/仕事圏内が見事に水路で結ばれていたことを知り、ひととおりno river, no lifeにまとめた。そして最後に"編集中記"として、homeにしているスタジオの系列店が中野区東中野にあり、付近に桃園川緑道っちゅう暗渠があること、そしてproduce仕事などで年間の1/4ほどで使う練馬区関町にあるスタジオの近辺に千川上水ってのがあることを記し、どっちも今度行かなきゃね、なんて書いた。

.....そして知った。桃園川は関町から千川上水の分水を引き入れ、高円寺を通って東中野で神田川に落ちる川で、つまりまたしてもオレの43年間の"行動範囲"が水路で繋がってしまったことを。そりゃま、他人様から見れば考え過ぎ/ただの偶然/水路事情なんてそんなもの、かも知れない。が、オレは断言する。コイツは運命だ。

ではオレ自身の新たな"home"、杉並区高円寺を中心にこの"桃園"と言う美しい響きを持った川を辿って行こう。
JR高円寺駅北口。中央/総武線、地下鉄東西線(中野〜三鷹間は乗り入れ)が通る。土日は中央線快速が高円寺/阿佐ヶ谷/西荻窪に停車しないため、土日は3、4番線が真っ暗になる駅
こちらは1952年(昭和27年)当時の高円寺駅。未だ高架化されておらず、まるで田舎の小さな私鉄駅のようだ
高円寺駅の真上に聳えるのは2007年(平成19年)3月に開業したばかりのホテルMETS高円寺
ホテルMETSが出来る前の高円寺駅の姿。沿線上の阿佐ヶ谷や西荻窪あたりと良く似た、JR中央/総武線停車駅の典型的なスタイル。が、ホテルの建設により空は見えなくなった。.....なんだか、京都駅を想い出す
駅からはいくつもの商店街が放射状に存在し、ある意味"不夜城"の感がある。ちなみに"高円寺純情商店街"と言う名は1989年(平成元年)にねじめ正一氏著の同名の作品から付けられた名前で、正直オレには前身の"高円寺銀座"の方が今でもしっくり来る
高円寺、と言って真っ先に思いつくのはオレらの世代では"インド屋"さん。仲屋むげん堂を始め、お香の香りが立ちこめる洋服屋の街、と言うイメージ。ちなみに地元出身の大槻ケンヂ/内田雄一郎らを擁する"筋肉少女帯"と言うバンドに「オレにカレーを食わせろ!」で始まる"日本印度化計画"と言う曲があったのを覚えてる(知ってる)かな?(内田君とは10年程前に"虹伝説"と言うプロジェクトで共演。イベントで筋少のコスプレを本人達の前で演ったことがあったっけ/笑)。また高円寺は杉並区内で20〜30歳代が最も多い街で、洋服屋/ライブハウス/安価な飲食店などが多いのも頷ける。.....そしてそれは、安価なアパート〜銭湯の数〜多くの河川の存在、をも意味する
そして、高円寺名物と言えば毎年夏に大々的に開催される"高円寺阿波踊り"。.....2007年(平成19年)に実に51回目の開催を迎えたこのイベントには毎回100万人以上の人が訪れ、100以上の"連"(阿波踊りの言わば"チーム"ね)が出演する。JR高円寺駅南口から青梅街道に面した東京メトロ丸ノ内線の新高円寺駅までの高南通りと商店街、北口のふたつの商店街を使い9つのエリアで行われる"演舞"は付近の道路を完全閉鎖して行われる。街は3日間完全に"踊る阿呆に見る阿呆"で埋め尽くされるのだ。
.....では、しばし高円寺阿波踊りギャラリーを。
3日間/開催時間内、道路は完全閉鎖され阿波踊り一色となる
メイン会場となる高南通り/中央演舞場。見てると思わず身体が動くけど、モチロン飛び入りは出来ません。皆、この日のために一生懸命に練習して来た素晴らしい演舞
こちらは最も道幅の狭い商店街・ルック第2演舞場。でも演舞者も沿道の観客も一体と成って大騒ぎ!
夜空に三味/尺八/太鼓の音を響かせる"鳴りもの"隊も注目の的
地元・我らが高円寺パル商店街の"飛鳥蓮"の女踊り手さんと1枚。.....シアワセ(爆)
また高円寺はいつの時代も古くからの居住者と若者のバランスが取れた街、とも言える。駅周辺には現代的なチェーン店が多いが、一旦いずれかの商店街に足を踏み入れると老舗の個人商店や小さなバーなどが混在する。そして路地を入れば昭和の風情を残すアパートや銭湯なども多く、福祉関係の建物も良く見かける。阿波踊りの際には老若男女が一致団結して街最大のイベントを盛り上げる、山の手にしては大変"粋な街"でもある。
JR高円寺駅南口ロータリー正面にあるのが"これぞ高円寺!"の代名詞、焼き鳥"大将"(南口店)。路上にビールケース出してテーブル代わりにして一杯ヤルのはサイコー!。そして焼き鳥を初め、所謂居酒屋定番メニューがどれも美味、特に絶品なのが煮込み!。筆者個人的に"日本一"の煮込み!!。
ちなみに店には"派手な髪型お断り"のルールがあります(.....金髪のワタシは当然アウト、帽子着用で許可して貰ってます/爆)
コレが激ウマ煮込み!
また、実は近々このビルは取り壊しになる予定で、高円寺駅のホームに溢れる通勤中の皆様の羨望の眼差しを浴びながら一杯飲める(dragonlion代表談/笑)のもあと少し(南口に2号店、北口に3号店が営業中)
高円寺で食事、と言えば何と言っても南口のスパゲッティ専門店"麦の家"。創業「.....30年くらいだったかなあ」店主本人も覚えてナイほど(笑)。内装も味も30年前と一切変わっておりません
名物、海の幸ミートソース
北口ロータリー正面にある喫茶店"珈琲貴族"。よくデートに使ってました(ちなみに20年以上前のハナシ)。'50'sを聴きながらカフェ/食事/お酒と、何でも美味しいお店
こちらは北口、老舗の洋食屋さんDAIGO(醍醐)。深夜まで営業してる、穏やかなマスターのいるアットホームな店
筆者定番、サーモンフライ定食
北口・純情商店街突き当たりにあるのは1984年(昭和59年)創業の老舗livehouse、ペンギンハウス。19時からlive time、23時以降はno charge(!)のバー営業。我が事務所からほど近いココで、ワタクシたまに桃園川のハナシなんぞしつつ歌っております
左は1964年(昭和39年)、環状七号線と青梅街道の交差点に"高円寺陸橋"を架ける工事の様子、右は現在の同じアングル。.....つまり、この陸橋はオレと同い歳、と言うことだ
桃園川。河骨川に勝るとも劣らぬ美しい名。まず思い浮かべるのは当然"桃の園"である。ってことはきっとかつては桃の木がたくさんあった地域があり、そこを流れる川だったのでそう呼ばれたのだろうと想像出来る。調べてみると、元々"小沢村"と言う地域にあった宿鳳山高円寺-1555年(弘治元年〜)と言う寺を徳川三代将軍・家光-1604年(慶長9年)〜1651年(慶安4年)-がいたく気に入って現在の中野方面への鷹狩りへ来る際に度々立ち寄り、元々多くの桃の木があったこの寺の付近一帯に更に桃の木を増やした。そして高円寺は別名"桃堂"と呼ばれるほどになり、小沢村は高円寺村と改称。高円寺の本尊は"桃園観音"と呼ばれ、この地を"桃園"と呼ぶようになったのだと言う。なるほど、桃の園とは高円寺と言う地域全体のかつての名だったのだ。
1836年(天保7年)の江戸名所図絵より"桃園春興"
江戸三代将軍、徳川家光
三代将軍・家光が愛した宿鳳山高円寺。.....高円寺近辺在住の人でも、意外に"高円寺"と言う名の寺の存在や位置を知らないと言うケースが多い
そして桃園川は武蔵野台地を西から東へ、丁度桃園と言う地域を横に走る小川であった。水源は天沼弁天池(現・杉並区天沼)、約7kmを経て末広橋(現・中野区中央)で神田川へと合流する。が、水量の少なかった桃園川は桃園地域の水田へ農業用水として供給出来るほどの規模に足らず、1707年(宝永4年)に玉川上水の分水である千川上水からの分水を受けることとなる。
.....他にもいくつかの分水を持つが、最も上流の千川上水からの分水点から神田川合流の末広橋まで、人工水路を合わせれば約11kmあまりに及ぶ桃園川。現在は暗渠化されているこの河川を、今回はコンプリート(完全制覇)を目指して探って行くことにする。
>>「第五章・第二節/六ケ村分水と天沼弁天池」へ


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