2008/11/15 up

8月某日 打ち合せ@room1964
夕刻、番組プロデューサーであるM川氏、そして今回の担当ディレクターであるS水氏がやって来る。こちらはオレとマネージャーのPでお出迎え。
「初めまして。宜しくお願い致します」
おふたりはもの珍しそうにオレのスタジオ内を見回す。M川氏はラフなシャツで如何にもTVプロデューサー然とした、やや恰幅の良い紳士。ディレクターのS水氏はオレより若く、なかなかのイイ男。名刺交換のあと、早速本題。
「いやあ、実は僕もね、加瀬さんと同じように京王線の旧・初台駅ホーム見つけてビックリして、電車降りて探したことがあるんですよ〜」
M川氏、お見事。こういう掴みの出来る人にハズレはいない(失礼!)。で、オレのwebsiteを実に良く観てらっしゃる、またはパッと見でもその内容を瞬時に把握出来る人。さすがNHKの番組プロデューサー。
で、ディレクターのS水氏。こちらは当然M川氏からオレのことを聞いたワケで、まだあまり把握出来ていない様子。そして彼はオレのno river, no life/第一章第一節を印刷したA4サイズの紙を御持参。
.....嫌な記憶が蘇る。
実は、3年前に有名クルマ雑誌で名高い大手出版社からno race, no life単行本化のオファーが来て先方に出向いた際、若い担当編集者が同じようにオレのコラムを印刷したA4の紙をホッチキスで止めて持っていた。
オレのwebsite/加瀬竜哉.comは、全て"黒背景"で出来ている。
そこに、大好きな緑を中心に赤や青、黄色などの明るい文字やロゴが並び、観覧者を誘う本文が白で書かれている。

'70年代を席巻したインベーダー・ブーム
.....コレ、実は"スペース・インベーダー"なんである。
オレが中学生の時('70年代後半)、一大ブームを興したインベーダー・ゲームは、もちろんまだファミコンなんてものすらない時代、虎の子の100円玉握りしめてゲームセンターのドアを開けた瞬間、暗がりの中で眩い光を放つ魔法の箱。ゲームセンターは家や学校では味わえない、罪悪感すら伴う独特の異空間であり、インベーダー・ゲームは当然ながら見たことのない光を放つ不思議な魅力を持った未知の遊具だった。
そしてひとたびそこへ座れば画面に釘付けになり、あとは完全に熱中しつつ両手でそのカラフルな光る色達を操り、Game Overとなった時に初めて現実世界へと戻り、再び周りが眼に入る、それほどまでに魅力的な新時代のアイテムだった。
で、加瀬コムはそれをinternet上で再現しただけなのである。よって、黒背景に色がブチまけてあるワケ。
んで、no race, no lifeは写真や図が全盛/基本のwebsiteにあって、縦スクロール+極小改行/激長の、ただの文字の羅列。誰でも出来る"レイアウト"という遊び道具を使わずに、情報量と文才だけで勝負したコンテンツ、読者は想像力と集中力を必要とし、読み終えたあとに実物を見たければ勝手に検索すればいい、という形。これがコアなファンから熱狂的な支持を頂き、実際ヒット件数も相当なものとなった。

本邦初公開@某出版社!
ほんで、出版社のオニイチャンは、それを白い紙に黒字で印刷して持っていた。オレは正直に「それ、オレのno race, no lifeじゃない」と言った。その瞬間、no race, no lifeは本にはならない/しちゃダメだ、と悟った。
彼等はオレのコラムに写真を載せて出版、という提案をして来た。いやいや、そこに実物載せちゃ意味ナイんだってば。だいたい、白い背景に縦書きでレーシング・カーの名前書いたってカッコ良くナイし。逆に、どうして今出版業界が苦しいのか、何故本が売れないのか、この機会に解ってしまったような気すらした。

山口正己×加瀬竜哉@club・加瀬コム(2006)
ちなみにこの席にも同席して「これからオモシロイのはinternetだよ」とオレのwebsiteを応援してくれたのが、それ以前からオレを知ってくれていて2006年のclub・加瀬コムではオレと対談してくれたモーター・ジャーナリストで元GPX編集長の山口正己さん。
以来、オレは結果的に"web上で暴れよう"の方向性を見失うことなく、入れ替わるようにスタートしたのがno river, no lifeなワケ。
.....で、この人、白い紙に印刷した黒い字のno river, no life持ってる.....。
ま、ぶっちゃけ雇われ担当ディレクターなんて、そんなもんだよね。まだ若そうだし、でも売れっ子なんだろうし、きっと色んな番組やってて忙しくて.....ヘン、どうせ東京オリンピックで一斉に都内の河川が暗渠化されて、その時に生まれて"春の小川"の舞台だってことも知らずに生きて来たオレの気持ちなんざ解んないでしょうよ、そりゃ(モン〜の凄い思い込み)。ま、A4の白い紙を資料にしてる、って時点で失格(爆)。
こっちはノートPCでno river, no lifeをスクロールしながら歓談。とりあえず番組の趣旨、撮影から放送までの流れの説明を受け、こちらはこちらで「オレは決して興味本位で朽ち果てた橋跡なんかを探してる廃墟マニアじゃない/
何故こんなことになったのか、何故そのままなのか、を考え、知りたいだけ」と強調。オレはM川プロデューサーとメインに話し、ディレクターのS水氏は頷きながらひたすら話を聞いていた。
雑談も含め、近日中にもう一度打ち合せの約束をし、約2時間ほどで打ち合せ終了。S水氏は、4月のclub・加瀬コム2008でオレがプロジェクターを使ってオーディエンスの皆に春の小川の話をしているビデオを持って行った。
あらためてマネPと相談。
「とにかく、暗渠見つけて喜んでる方向に持って行くようならそれは本意じゃない。彼等がオレの真意を解ってくれた上で番組作りをしてくれるのなら出る」で意見は一致。
.....深夜、S水氏からメールが来る。
「あの後、宇田川暗渠を歩いて来ました。色々考えてたんですけど、僕らが例えば渋谷のセンター街とかでタバコをポイ捨てしたら、それは暗渠になった川に落ちてしまう/我々が川を汚している、ってことなんでしょうか?」
.....へー。意外に"熱中"してるじゃん.....。

copyright (C) 2005-2013 www.kasetatsuya.com