第七章・"渋谷・朝霧ヶ瀧伝説"
第七章・第三節/生誕の地・桜丘
1963年(昭和38年)米軍撮影による渋谷駅付近。オレが生まれる前年の様子だが谷底低地である渋谷駅が坂に囲まれているのは現在も一緒。ただし、写真で解るように翌年の東京オリンピック開催に向け国道246号線が高速道路建設中なのと、まだ"公園通り"という名称は存在していないのが現在との違いと言えるだろう
渋谷駅を谷底と見た場合、囲む高台への道は道玄坂/宮益坂/公園通り/そして国道246号線である。この内、渋谷駅に着いてスクランブル交差点から皆が進む方向は、まあ公園通りか道玄坂、或はその間の文化村通りだろうね。つまり宇田川流域だ。宮益坂は青山方面なので降りる駅が渋谷ってよりも表参道、明治通りからキャット・ストリートへ進む人は渋谷川流域になるワケだ。もちろん何しに渋谷へ来るかによるんだけど、買い物や食事に来るんならそっちがメインの繁華街。
従って、渋谷駅西口から眼の前の歩道橋を渡って国道246号線を渡るって人は.....相当な"渋谷通"だ。そこは渋谷区桜丘町。意外に聞き慣れない町名でしょ。

1964年(昭和39年)10月13日午前8時30分、オレが生まれたのは渋谷区櫻ヶ丘町5番地にあった櫻ヶ丘産婦人科、オレを取り上げてくれた先生の名は山田鋼治先生。物心ついて初めて訪れる生誕の地.....いや、正確には何度も通ってるけど、ここが病院のあった場所だって知ったのがつい最近。
.....え〜、このコンテンツに於いてはもはや恥も外聞もナイのでいくらでも出せます(苦笑)。1964年10月15日、加瀬竜哉・生後3日目の勇姿。櫻ヶ丘産婦人科医院にて。ま、とりあえずフツーに可愛いっしょ(爆)。ちなみに逆子、生まれる時から既に親に迷惑かけてるってこと
桜丘は実家のあった渋谷区神山町2番地からは決して近くはない。路線バスで渋谷駅まで3つ、渋谷駅から櫻ヶ丘産婦人科まで徒歩約7分。眼の前に立ちはだかる国道246号線の歩道橋。身重の身体で通うのはさぞかしタイヘンだったろーな.....。
渋谷駅西口(モヤイのある方ね)から246を挟んで桜丘方面を望む。ね、確かにあんまり行ったことナイでしょ
こちら逆アングル。渋谷駅西口は基本的に東急と京王のバス・ロータリー、駅改札口の正面に東急プラザがあるくらいで、246を渡るには歩道橋しかないため、あまり渋谷に遊びに来る人のコースにはならない方向
1953年(昭和28年)の櫻丘。当然ながらセルリアン・タワーもなけりゃ、東急プラザすらない。かろうじて国道246号線の用地となるスペースが右上方に確認出来る
左は1963年(昭和38年)、桜丘から国道246号線を挟んで渋谷駅西口方面を臨む。右は同一アングルの現在。左の写真の首都高速3号線の工事が急がれているのは、もちろん翌年に控えた東京オリンピックのため
とりあえず地名通り、246を渡った途端に登り坂地形。歩道橋+坂じゃ確かに皆避けるかも。ただこのあたりは楽器店やライヴハウス、リハーサル・スタジオなんかも多いので、ミュージシャン/バンドマン率が高いところ。オレもこのあたりを中心に活動してた時期が長い
早速オススメのお店紹介〜。かつて"目黒のキンタイ(キング・タイガー)、渋谷のジョイタイ"と言われたリーズナブル・ファミリー・レストランの老舗、ジョイタイム。ここはスーパーマーケットなんかを展開する食品流通会社が経営する店舗で、オレが知る限りまだ世間はファミレスが出始めの頃からあるので開店30年くらいにはなる筈。金のないバンドマンが長時間たむろするにはうってつけの店だった
オレの30年前の記憶からさほどの進歩のないメニュー。カレー(小)290円、ハンバーグ400円、みそ汁は何故か開店以来"なめこ汁".....で、味は全然合格点!
厨房の真ん中に鎮座するオーブンが涙ぐましい。あそこから出て来るグラタンが懐かしくもウマイ
こちらは中華定食屋さん"かいどう"。そー言やここでよほど腹が減ったのか「タンメンと中華丼」って頼んで「.....それって、上に乗ってるモン一緒じゃね?」と突っ込まれてるヤツがいたっけ(苦笑)。その奥に見える雑貨店"一風堂"はオレが中学生くらいの頃、高音質のカセット・テープをまとめて買うととても安く、まだ家電量販店の少ない時代に学生の味方だった店
桜丘台地の中腹を切り通す生活道路。オフクロは身重の身体でこの道をテクテクと行ったそうな
切り通しの右手上に見えるのが通称、"崖の上のヤマハ"。現在はヤマハ・エレクトーンシティがあるこの建物はかつての渋谷"エピキュラス"。'70〜'80年代の日本のロック/ポップス・シーンに不可欠だったところ。今更ながらずいぶんと高い場所にあったんだな
地形はJR山手線の渋谷〜恵比寿間に平行した谷地(つまり渋谷川の谷)から、徐々に右手(東)へと曲がりながら進む
恐らくオレが生まれた頃から建っているであろう、古い住宅。坂道の途中に工夫して建てた苦労が伺える
桜丘は明治まで中渋谷村櫻ヶ丘町。地名の由来は疑う余地ナシ、さぞかし見事な桜の木があったんだろう。今や246沿いのセルリアン・タワーより高いものなんてないけど、国木田独歩"武蔵野"の舞台となったこの渋谷の、一際高いこの一帯がどれほどの景観だったのか。ここはきっと美しい桜の木々を望む素晴らしい景色だった筈だ。
かつて櫻ヶ丘産婦人科医院が存在した渋谷区桜丘5番地。45年後に訪れた生誕の地、だ
当然かも知れないが、既にこの地にオレが生まれた産婦人科はない。オフクロ言わく「年輩の先生がやってる小さな個人病院だった」とのことだけど、いつ病院がなくなったのかも解らない。今ここに建つビル郡を見る限り、当のオフクロを連れて来たとしても解らないだろう。ま、仮にあったとしてもこんな金髪のオッサンじゃあ申し訳ナイ(笑)。
桜丘にある渋谷教会。オレが公園通りの山手教会のクリスチャン・スクールに通ってたこともあって、ここへは何度か来たことがある。でも、その時はこのあたりが自分の生まれた場所だとは知らなかったけど
桜丘のメイン・ストリートのすぐ脇は急激な谷地系となる
渋谷駅からここへ向うルートも実際登り坂だったけど、こうして桜丘に立ってみると見事に高台、ちょっと移動するとすぐ下り坂。もちろんそれは谷底の存在を意味する。その谷地の名は.....渋谷区民じゃないとちょっと意外かも知れないね、"鴬谷"だ。
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