編集中記
編集中記
暗渠。
この聴き慣れない言葉と出逢ったのが2006年(平成18年)6月。水源となる湧き水があり、河口がある。ならば、その間にあるのは河川。が、目には見えない。何故なら、コンクリートの下だから。でも、目に見える川もある。どうして見えるものと見えないものがあるのか。何故、隠したり隠さなかったりなのか。
自然河川は文字通り自然発生する。高台に水があれば、低い所へ向けて自ら流れ出す。そこに谷底があれば、四方の高台からの流れが集中し、合流する。そして、川の目的地は豊かな水の溢れる場所、海。宇田川源流のひとつ、初台川の水源地付近に湧く小さな湧き水は、ちゃんと海まで届いているのだろうか。疑問に思うのは、"途中"が見えないからに他ならない。
今にも水が絶えてしまいそうな渋谷川開渠部
今回こうして自分の生まれ育った街/通い続けた街を地図と情報を頼りに歩いてみて実感したことは、全ては発展と言う名の"犠牲"である、と言う事実だった。そして、その発展を受け入れたからこそ、自分はそこに暮らしている。
渋谷駅。
宇田川の流路が現在のセンター街下から井の頭通り側に移されたのは、谷底にあたる渋谷駅付近の人々の暮らしが度重なる洪水によって脅かされて来たからであって、地元の人々が自らの命を守るために行った当然の行為だった。
ワシントンハイツ。
戦後19年を経て返還されたこの地は、新たに都市部の憩いの場・代々木公園として造成されると共に、東京オリンピックと言う国際イベントの開催により近代日本を構築するために不可欠であった。高度経済成長と言う"豊かさ"の犠牲になった河骨川や渋谷川上流部は新たな日本の発展に重要な意味を持っていた。
新宿。
巨大な副都心化計画と新たな交通網の発展のため、道路を分断する存在となっていた小さな河川、神田川笹塚支流の上に新たな道路や学校、公共施設などが作られることにより住宅や学校生活に安全性と利便性を遥かに向上させた。

そして現在、我々は安全に道を歩き、公園で微睡み、便利な交通網を使って仕事やレジャーを行い、豊かな日々を送っている。これは紛れもない事実なのだ。
従って、失われた/隠された川達を想うことは、単なるノスタルジーでしかない。

しかし、そのたかがノスタルジーに、これほどまでに自分が動かされるとは思ってもみなかった。先日加瀬コム管理人にこのno river, no lifeのためにいったいオレが何枚ほどの写真を撮ったのか尋ねると「1,500枚」と言う返事が返って来た。.....デジカメってエライ。これが普通のカメラだったらタイヘンなことになっていた.....いや、ムリだ。デジタル時代とwebsiteの利便性にただただ感謝だ。.....で、一番上に書いてある通りここは編集中記、もちろんまだ紹介したい/自分で知りたい場所がた〜くさんある。が、先日管理人から「.....コレ、いつまでたっても公開出来ないんじゃないスかね」と言われ、とりあえず一旦"自分の暮らした街の中心編"としてno river, no lifeをスタートすることにした、と言う次第なのです。
そうだな、一旦ここまでを振り返って見るならここかな。
.....6月に突如思い立って調べ始め、7月にいても立ってもいられなくなって歩き始め、新たに見つけたもの/知ったことのために再び出向き、あっと言う間に9月。真夏のクソ暑い中、白いTシャツにリュック姿で暗渠を歩き続ける金髪グラサン男の図。レポートをまとめ始めたら始めたでまた足らない/欲しい写真が出て来て三たび出向き.....ま、管理人が「こりゃ終わんないな」と思うのも無理はない。何も知らなかったのだから、知るもの全てが衝撃であり、最新ニュースだったのだ。
ま、全てが"後追い"の宿命である。惚れたミュージシャンしかり、レーシング・ドライバーしかり、自分が興味を持った頃には既にこの世にいない、と言うパターンは良くあること。それ故、今回のような"廃墟を見て繁栄期を想う"ようなことが起きるのだ。が、オレは元々廃墟マニアでもなく、今の自分が暗渠探索マニアだとも思わない。ただ、自分の足元をあらためて見つめたことがなかった愚かさは痛感している。コレを読んでいるアナタの足元にも、きっと何か隠されているのだ。

あまり、人ン家の裏路地をウロウロするようなことは勧めない。が、アナタの近くの足元にも暗渠があるかも知れない。ここで、たった三ヶ月程度ではあるがオレ自身が感じた暗渠探しの"コツ"と言うか、暗渠の特徴のようなものを記しておこう。繰り返しシツコイが、決して暗渠探索を勧めるつもりはない。ただアナタ自身、もしも疑問に感じる場所があるのなら少しでも役に立つかも知れないので、ね。

まず、暗渠の特徴。
蓋をされた河川は、基本的には緑道とか遊歩道と言う名の長い一本道になっていることが多い。少なくとも、その上に建物が建つことはあまりない。当然、地盤が緩い/不安定などの理由があるからだ。あったとしても公共施設や水道局、区の土木課の管理下の建物、と言うケースが多いようだ。もっとも、オレの場合「昔宇田川と言う名の川があった=今はもうない」なんて言う勝手な思い込みで暮らしていたので考えもしなかったのだが、オレが暮らしていた当時はそこに"宇田川遊歩道"なんて表示もなく、単に"住宅街には遊歩道があって当然"みたいに考えていた。どうやら現在はあえて"宇田川遊歩道"と記すことでそこに川が流れていたことを知らせる意図があるように思うが、なにしろ1964年(昭和39年)当時は、そこが川だったことを隠したかったのだから。
宇田川遊歩道と書かれた柵は、オレが幼かった頃には存在していなかった。2005年(平成17年)に遊歩道が整備された際に建てられたもの
現在宇田川暗渠はむしろ意図的に川の流れを再現した路面となっているが、ほんの数年前まではカマボコ型の典型的な暗渠遊歩道だった
いわゆる遊歩道とか緑道として、延々と続く車の侵入出来ない道。道の真ん中には遊具や植え込みがある。写真は神田川笹塚支流暗渠、前方には橋の遺構も見えるが、かなり典型的な例だ
神田川笹塚支流・南側支流。道そのものは普通の路地に見えても、周囲が川の護岸であることが解る
泉南のマンホール暗渠。これだけ続いてるのはどう考えたって不自然だ
車の入れない柵やポールなども、暗渠道に良く見られる。そして、車が来ないと言うことは.....彼等にとっても住みやすい、ってコトかな(笑)
こちらは三田用水跡。マンホール、車両進入禁止策、曲線を描く流路、そして古いタイプでは道の両端が低く、真ん中が高い"カマボコ型"などの特徴が見られる
そして忘れちゃいけないのが銭湯の存在。本文中で何度か触れて来たように、お風呂屋さんほど"排水が必要な住宅街の施設"はない。歴史的に見ても当然ながら谷底の川沿いに作られて来たのだ。従って、銭湯の脇には必ず川があった筈なのである。写真は神田川笹塚支流・南側支流、新道橋
こちらは笹塚で玉川上水・旧水路から分水された三田用水跡。中央に植え込み、車両侵入禁止、カマボコ型路面、そして遠方に見える銭湯の煙突.....変な言い方だが"これぞ暗渠"の姿である
これは渋谷区の銭湯マップである。.....あまりにも出来過ぎなほど、no river, no lifeで書いて来た暗渠沿いに銭湯が点在している。左上が神田川笹塚支流、その下付近が宇田川支流や河骨川、中央上部が渋谷川、右下は渋谷川から下流の古川付近。.....銭湯には銭湯の事情がちゃんと存在し、やみくもに住宅街に作ってあるワケではないのだ
役所の土木課の管理下に置かれている敷地、ことに水道関係の敷地に良く見られるのが"青い柵"である。古くは水色のガードレールのようなタイプ、最近ではグリーンに近い背の高いタイプ。もちろん全てではないのだろうが、どうにも暗渠絡みで良く見かけたことからほぼ確信に変わった。青い柵のある場所には水絡みの立ち入り禁止地域が多いようである。
これは現在の我が家からそう遠くない、世田谷区松原の北沢川・松原支流(no river, no lifeでは未公開)。年配の方は確実に見覚えがあるでしょう、このテの青い柵。コレ自体かなり古いものだが、御覧のように水路付近の立ち入りを制限する柵としてはこのタイプが多く使われていたようである
同じ支流の暗渠部。これが現在多く見られるグリーンっぽいタイプ。古いものが斜めの編み方だったのに対して縦横の形になり、ガードレール型から門型へと変化している
淀橋手前付近の神田上水助水路暗渠。ここはまさに水道局の管理地。比較的新しいものだが、色は最新で形状は斜め編み型
こちらも同タイプ。井の頭通り、和泉給水所〜永福町の水道用地跡。立ち入り禁止のまま放置されることが多いため、色がどんどん薄くなっている
ここまで記して来たように、暗渠路面には独特の特徴がある。中でも顕著なのはカマボコ型路面、大量のマンホール、中央部の植え込みなどである。それ以外にも普段気にしていない特徴がけっこうあり、今回本文中で紹介したものの中にもかなり特徴的なものがいくつか存在する。完全に"コンクリートの蓋"と化したもの、明らかに周囲と路面状態が違うもの、さらには橋跡が残るもの、などである。特に橋跡に関しては、"橋とはこう言うもの"と言う先入観が、少なくともオレ自身にはあったのだが、実は意外な姿で残っていることが多いようである。
北沢川・羽根木支流暗渠。歩道部分の路面は50cm×1.5mほどの長方形のブロック状の蓋が連続して置かれているもの。何も考えずに見ていると単なる路面デザインにも見えるが、典型的なコンクリート暗渠の姿である
こちらは泉南、玉川上水路脇の神田川笹塚支流付近。水路そのものが細いためにブロックの形状そのものが縦長である
甲州街道を横切る水路暗渠。左右に植物が多く、蓋自体にもコケが多く見られる
玉川上水・旧水路から分水された(と思われる)人口的な分水路跡。こうまでなってると明らかだが、まさか渋谷区内でコレを見かけるとは思わなかった
.....で、コレがその"蓋"を外した状態。つまりここ(北沢川・羽根木支流)は暗渠の蓋が外れている、と言う状態なのだ
ちと番外編になるが、新宿区落合にある小さな暗渠道沿いで、たまたま住宅建設工事の現場に出くわした。流路が地中深くに埋められているのが解る貴重なショットだ
今回の調査で印象に特に残ったものとして、神田川笹塚支流・北側支流にただひとつだけ残された橋、神橋がある。実際、この北側支流暗渠そのものが付近の住民の方々の生活道路以外としては通る理由すらないような道であるが故、通常は見つけて驚くことすらあり得ない。反対に南側支流や玉川上水・旧水路などは水路暗渠であることを公にした上で遊歩道/緑道化しているため、むしろ橋跡はきちんと保存されているが新しく作り替えられたりしているのが興味深い。つまり、北側支流に残る神橋は単に"放置"された存在なのである。同様に渋谷川上流部には名前の刻まれた支柱が存在しないのに欄干は完全な形だったりするものがあり、川跡であることがどこにも明記されていなくとも暗渠である疑いを持つことが出来る。
橋跡を見つけたら、そこは暗渠なのだ。
神田川笹塚支流、遊歩道にすら出来なかった北側支流全域に唯一残る神橋。「撤去する予算がない」と言う悲しい事情を持つ遺跡である
渋谷川暗渠源流付近、大京町遊び場の入り口に残る橋跡。気にせずに歩けば公園入り口のデザインのようにも見え、直接水路と結びつけるのは難しいかも知れない
同じく渋谷川、参道橋跡。表参道を渡るキャット・ストリート、そこが渋谷川暗渠だと知らなければ見逃してしまうだろう。同時に、明治神宮への参道であることを考えれば、そこに水がなくとも橋のようなものがある図は想像出来てしまう
no river, no lifeを制作するにあたり、"キャッチー・ネーミング大賞"を贈りたいのが玉川上水・旧水路暗渠上の南ドンドン橋。ここは数10m先に開渠部があり、大きくカーブしていることから名前の由来の想像は出来るかも知れない
河骨川暗渠、新潮橋跡.....こりゃムリだ。コレ見つけて、しかも橋だって解ったらマニアだ.....
"橋"と言うと大袈裟に言えば吊り橋や大きな欄干などを想像するが、特に細い流路に架かる生活用の最低限の橋は意外なほどにシンプルである。コレ(北沢川・羽根木支流)などは民家の敷地内へと繋がるのでそこに川があるとは考えもしないが、これも立派な橋として機能しているのである
神田川笹塚支流・南側支流の橋跡。渡るのは中野通りでけっこう大きい橋だった筈だが、開渠時代はこの程度で間に合っていた、ということである
初台川、山手通りを渡る橋跡。このくらいのサイズになると、地中に埋まっている部分がどれほどかは疑問だが、いずれにしてもそう大きい橋ではない
.....コレは山口県某所の現存する同タイプの橋。都会育ち/オリンピック・ベイビーのオレあたりが見ると、地元の方以外が渡ると手すりがない分「危ない」と思ってしまう。急な横風とか、子供の自転車とか、酔っぱらいとか.....が、そう言った危惧も河川の暗渠化に関係あるのもまた事実なのだろう
この二枚の写真は広島県内某所、川と言うよりはむしろ側溝だが、実際そこに暮らす人々にとっての生活用の橋としてはコレでも充分、来客以外は完全な自分専用。しかしコレも立派な橋だと言える
こちらの二枚は山口県内。左は丸太橋、右は.....薄橋(?)。だがコレだって立派な(失礼!)橋。眼下は現在空堀だが、余計に怖く感じるオレはやっぱりよそ者だ
さて、アナタの暮らす付近に実際に河川が存在しているのなら、周りにはその支流が存在する可能性がある。もっとも解りやすい確認方法は川壁を覗き込むこと。もしもそこに水の流れる別の流路があったなら、その延長線上を探ってみると暗渠が見つかるかも知れない。街中を流れる大きな河川はそのままでも、そこに注ぐ小さな支流は生活のために暗渠化されているケースが多いのである。
神田川本流、対岸から見ると斜めに開いた穴があり、その真上に同様に斜めに走る路地が存在するのが確認出来る。つまり、その道の下は流路だと言う証しなのである
神田川笹塚支流が本流へと注ぎ込む部分。全長3kmほどに及ぶ双子の支流暗渠/遊歩道が川だったことが証明される場所である
対岸から見たところ。例え弱々しくとも確かに注いでいるのが解る
次に、例え水路は見えなくともその土地に残っている名称から探る、と言う考え方がある。今回オレ自身も宇田川町や水道道路、和泉に神泉、更に渋谷や四谷、千駄ヶ谷や幡ヶ谷なんて言う聞き慣れた地名に、ようやく河川の可能性を考え始めたくらいである。.....現在、オレは全てを疑ってかかってる状態。電車の路線図を見てるだけで妄想中。阿佐ヶ谷/荻窪/池袋/品川/下北沢/大井町/板橋.....ああ、東京中が水浸しだ(.....)。が、もっと身近な所にも"ヒント"が隠されている。
川なんぞないのに、ふと見上げると交差点の名前が橋だったりする。三田用水路は1975年(昭和50年)頃に暗渠化されており、30年ほど前までは実際にこの地に橋があった、と言う証しである
同じく三田用水跡のバス停、二ツ橋。現在そこにあるのは道路だけである
神田川笹塚支流、清水橋交差点。ここは丁度橋跡が撤去されたばかり
渋谷川、観音橋交差点。目の前は東京オリンピック開催地の国立競技場、道路の舗装工事も含め、川はほぼ完全な形で地中に隠されてしまっていた
.....こんな名前にも、もしかしたら、の疑いが残ってしまう
次に、役所が管理する草ボーボーの広場や公園などのアヤシい敷地、no river, no lifeの中に何度も登場する"××遊び場"や"遊び場××番"である。建物が建てられない地盤、買い手も付かず、公共事業施設を作るには微妙な環境.....暗渠、池や沼の跡、水絡みの敷地はせいぜい広場にしかならないのである。特に今回出逢った遊び場や公園達は利便性や陽当たりなど、決して子供達が遊ぶのに最適な環境とは言えず、事実"利用されているトコロ"は一度も見ていない。
和泉の神田川沿いにある遊び場46番。一見自然がたくさんあり、寝っ転がったら気持ち良さそうに見える。が、実際にここに立つと妙に落ち着かない
神田川笹塚支流付近、笹塚北児童遊園地。足元の土は常にジメジメとしているような場所で、もちろん陽当たりも良くはない
千駄ヶ谷、写真左手の公園部分から右手の高架下へと続く渋谷川暗渠。このように遊び場に水門の跡なんかあったら完璧だ
同じく渋谷川、さらに上流部にある大京町遊び場。ビルの裏手、陽当たり悪し、遊具は撤去、しかも現在立ち入り禁止
こちらは渋谷川下流付近、渋谷駅にもほど近い完全な谷底部にある公園。昭和初期以前の記録を見るととにかく渋谷駅付近には洪水被害が多く、水が溜まり溢れる場所がいくつか存在していたことは想像出来る
宇田川富ヶ谷支流付近、富ヶ谷児童遊園地。砂場が草場になっちゃってる
玉川上水路付近の渋谷区立西原一丁目遊び場。.....野球やサッカーには小さい、寝っ転がるには砂地がイタイ。もちろんそれでも別に鬼ごっこでもドッヂボールでもなんでも出来るのだが、現実に子供達の姿はない
.....シツコイようだが、オレは暗渠マニアでも廃墟マニアでもない。知りたかったのは知られざる"事実"であり、決して朽ち果てたり壊れたりした"末路"を探して歩いたワケではない。が、百聞は一見にしかず、書物や口づたいだけでなく、この目で確かめる/自分の足で見つけに行く、と言う行為がどれだけ尊いかはお解りだと思う。そしてその後の自分に最も大切なのは探し求め続けることではなく、河川などの自然を守ること、例えばゴミを捨てないとか、あったら拾うとか。我々自身が出来ることはいくつもある。
.....そのためにアナタが地元を探してみたいと言うのなら、ほんの三ヶ月程度の初心者だがオレがコツを伝授しよう。だが、決して興味本位だけで危険な場所や他人の敷地に入るのは御法度だ。
コレがオレの(夏の)暗渠調査の基本スタイル。Tシャツ+ジーンズ、普段ブーツでもスニーカー、背にはリュックサック。歩くのは意外に体力を使うものなので、水分や栄養分の補給はまめに行う(写真は朝食代わりにゼリー飲料を頂きつつ歩くオレ)。目的地/予定到達時間のない歩行、は予想以上に身体に負担となる
リュックの中身はパソコン、地図、Tシャツの着替え、タオル、折りたたみ傘など。なにしろオレが歩いたのは7〜9月、暑いわ夕立ちは来るわ。そんなワケで探索は炎天下の日中よりは午前中が多かった
遺構探しのポイントとなるのはやはり目線よりも下になる。路面、橋の遺構、舗装やマンホールなどに特徴が見られることが多く、普段から眼にしているものの中にも意外に見逃しているものがある筈だ
.....ま、下ばっかり見てるとこんな目にあったりするんだな
古い遊歩道暗渠に良く見られたこのタイプの灰皿塔が、1964年(昭和39年)に東京オリンピックを記念してデザインされたことも今回の探索で知るところとなった。最近見かけないと思っていたが、今回の調査だけで神田川笹塚支流と玉川上水緑道(写真)の二カ所で現存しているのを発見。君達もオリンピック・ベイビーズだったんだね
オレはある程度取材を終えたら、必ず喫茶店などで休むことにしている。ここでしっかり水分をとることと、必ず着替えをするのがポイント。そして早速デジカメの写真をパソコンに移し、用意していた情報と照らし合わせたりする。そしてまた同じ現場に戻ったりすることもあるし、その写真に写っていた"知らなかった事実"を目の当たりにして再調査することもある。写真は渋谷川/渋谷橋(恵比寿駅付近)脇のカフェ.....何回行っただろ
.....夜遅くまで川沿いに歩いてったらダメですよ〜
.....ここは"編集中記"である。よって、どうやらオレの"失われた河川探し"はまだ続いて行くらしい。なにしろ、調査を始めてから"自分の暮らした/通う場所"と言う極めて限定されたカテゴライズだけのつもりだったのだが、これで全部ではない。とりあえずこの編集中記だけに出て来る北沢川の松原/羽根木あたりの支流達は現在のオレの家から近いところだし、玉川上水と鍋島松濤公園を結ぶ三田用水もまだ書いてナイし、プロデュース仕事で良く行く、オレの"第二のメイン・スタジオ"の近くにゃ清流復活事業で開渠と暗渠が交互に出て来る千川上水路があるし、ウチのスタジオの支店のある東中野には桃園川暗渠緑道が神田川を横切ってるし.....ホントいい加減しつこいけど、別にマニアじゃない。けれど、生活範囲内にこれだけの暗渠があると、今は行ってみないと気が済まない。
オレが座っているのは山手通り/駒場東大前付近、三田用水跡の水道管埋め込みコンクリートの上
吉祥寺通り、千川上水開渠部。近くのバス停の名は"立野通り水道端"
東中野商店街に近い桃園川暗渠緑道


.....かつてno race, no life(モーターレーシング・コラム)を連載していたレース好きのオレだが、こうして見るとサーキットって暗渠っぽくナイ?。何か通じるものがあったりして(考えすぎ?)
.....編集中記なんでまとめじゃナイんだが.....如何ですか、no river, no life。
コレは"川がないと生きていけない"じゃなくて"川があるトコでしか生きてナイ"と言う意味。な〜んか単なる個人的な想い出話のように見えなくもナイが、想い出と言うには実体験がゼロ、と言う少々特殊なコンテンツになってしまった。最近友人から「あんなに"過去を振り返らない人"だったのに.....」と言われたのだが、実際にはオレは水の流れる姿を見ていないので、むしろ"未知なる世界"なのだ。でもま、オリンピック・ベイビーももう42歳だし、ボチボチいっこくらい振り返っても良いかな。そりゃ音楽人としては前しか見てないけど、ひとりの人間としては.....アレ?、オレやっぱ歳とったのかなあ.....。

- 出典/参考文献など -

世田谷の川 探検隊
東京の水 2005 Revisited
廃墟徒然草
ふろっぐねすと
NPO渋谷川ルネッサンス
東京知ったかぶり!
SKY STUDIO
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